本質論

wald-Bahn2005-07-03

ようやく迎えた休日。


しかし某組合の行事で伊東へ行かねばならない


yaminabe-bank氏が乗ったのと
同じ車両に、特急料金払って乗る。


昔から格式ばった事が嫌いで、部活の総会とか、組合の集会とか、学級会とか。
何て無意味だろうと思っていた。
近頃は結婚式や葬式も、喜んだり悲しんだりするのはごく一部の人であり、
することに意味があるのか、疑問に思うようになっている。


本来、物事を円滑に進める為に行う集会や総会も、いつしか形骸化し、
中身の無い議論や規約に沿うばかりで、結局、円滑で本質的な議論からは
程遠いものとなってゆく。


また、大部分の人は馬鹿らしいと思いながら、一握りの「妙な使命感」を
帯びた人々の力で議事や会は進む。


ここまで来ると、馬鹿らしさを通り越して、コントとも思える。


しかし、こうやって60年前にも戦争に突入して行ったのではないか‥‥?


論理の飛躍だが、あながち間違いではないのでなかろうか。
そう思うと空恐ろしくなった。