隣接。

wald-Bahn2007-08-30

一年に何回か、高校のOB会報が自宅へ届く。
卒業して大分経つので、先生も後輩も知る辺もなく
ザッと眺めていつもは捨ててしまう。
今回は何の気なしに『おくやみ』を眺めたのだが、
そこに同級生の名前があった。
名前と卒業年次、逝去日 が淡々と羅列されている中の
日付は5年前であった。


特に親しいわけでもなかったが、高1・2か高2・3年だったか、
ともかく複数年同じクラスだったので覚えていた。
女子でも「大人しいグループ」に入ってた、ちびまる子ちゃん
言う所の たまちゃん みたいな感じの子だ。


その人が亡くなったという。


少し妙な話かもしれないが、祖父母など年上の人が亡くなったことよりも、
同年代が亡くなる事の方が、死が身近にあるという感覚を覚える。
「死は対岸の火事」と普段は思っていても、同年代の死によって
実は自分も例外ではないというか、


普段の生活に隣り合って死というものが存在する


そう感じるのだ。


だからといって、何かをすがって信仰したり、日々を武士の如く清廉潔白に
過ごす気は、さらさら無い。
が、死を身近に感じる事によって、「少し」だけキチンと過ごしたり、
「少し」自分を律したりといった、そんな「少しの」前向きな力に変えて
行く事ができるのでは無いか、そう思う。


とまあ、ビリーズブートキャンプを2日で諦めておいて、言うのも何ではあるが。