日窒鉱山(その2)

鉱山住宅街

今回は写真満載便で行きますよ!!


鉱山郵便局を出発して、上流へ遡ってみます。
この辺りから先の道路は「林道金山志賀坂線」というものになり、
八丁峠を抜けて、国道299号線側へ下りてゆく路線になります。


谷の向う側には鉄塔が立ってました。かつては選鉱所と鉱山を
結んでいた索道の鉄塔ですが、既にワイヤもなく骸骨状態。

<鉄塔>


さて、工場を抜けると、鉱山住宅の土台やら廃屋が始まります。
河を渡ると唐突に現れるのが赤い屋根の共同浴場

共同浴場
パッと見ただけでは分かりませんが、入口のこの「男」・「女」の
風呂屋の証』があるからこそ、風呂屋と分かります。

<男と女。>


その隣には質素な、ホントに質素な鉱山アパートが残ってました。
「木造モルタル造2階建て」の標本みたいです。

<鉱山アパートモルタル造>
それでもかつてこの鉱山街が賑わってた頃には、ここにだって人が
暮らしてたわけです。このアパートだって「住めば都」だった事でしょう。


このアパート入口には鉄パイプで作られた柵と共に、こんな看板が
立てられてました。

<立入禁止>
隣の共同浴場も、入口に真新しい板が×形に打ち付けてありました。
建物の老朽化や火災防止もさることながら、侵入者に頭を悩ませている
様子が「警察に通報」という断固たる処置ににじみ出ています。


話は脱線しますが、廃墟サイトには中を探検したレポートなどが結構ありますが、
よく内部まで入るなぁと単純に感心してしまいます。
私はというと廃墟は好きなものの、どうも内部に入るのには抵抗があります。
侵入する、というモラルの問題もあるのですが、何よりも私の足を引き留めるのは、
そこに住んでた人々の、思念の残滓が漂ってるのを乱したくない
そんな気がするからです。平たく言えば「憑かれそう」「呪われそう」といった
恐怖心で、まあ要するに怖がりさんなワケですが。


さて、風呂屋を上流側に向かうと、更にとんでもないモノがぁぁ!!

<木造鉱山住宅!>
山肌にへばりついて建ってる鉱山住宅ですよ!
しかも歴史ある温泉宿の様な佇まい。
ココに何年前までかは分かりませんが、人々が暮らしていた
というのが俄かに信じられません。

<木造木造!!>
最初期に建てられた鉱山アパートと思われるのですが、このようなものが
平成を20年も過ぎて現存することが驚きです。もちろん人の住んでる気配はおろか、
今にも崩れてしまいそうな荒廃ぶりですが、コレをみるだけでもこの山中まで来た
甲斐があったというものです。


が、二つ前の画像で気に成るのが、木造アパートの手前の瓦礫の山。
まるで洪水にでも有ったかの様な惨状ですが、よく調べると、
どうやらこの木造アパートの手前には、先程風呂屋の隣で見た木造モルタル造の
アパートが建っていた様子。それらをことごとく取壊してしまった跡が
あの瓦礫の山の正体といった所の様です。
上モノは全て取壊してしまったので土台のみ残ってますが、間取りが容易に
想像できるほどの造りだった様子。

<土台>

この取り壊しはここ数日のものらしく、瓦礫もとりあえず木造部分は
脇に山盛りにしておいた様子。そこに何やらポスターの貼られた
襖があったので見てみると‥‥

<ふすま>
おぉ!トミーこと国広富之ですよ!
更にその上には‥

<「普通の女の子」たち>

キャンディーズのサイン入りカレンダーポスター!!!
だいぶ青く変色してしまってますが、貴重な一品です。
カレンダーは共に1976年の8月。32年間ふすまに貼られた
ままとなってたのが、ついに表に現われたのが最期の時という
皮肉な結果。もったいないですね〜。


さて、更に河を遡ると対岸にも廃墟が見えてきます。
コチラには講堂や病院があったみたいですが、そこに通じる橋は
厳重に立入禁止のロープが張られてました。
そこを左に見ながら更に行くと、ヘアピン状の橋を渡って対岸へ。
ここにあるのがかつての独身寮、丹岫寮です。

<丹岫寮>


丹岫寮は林道から50m程入った所に有りますが、ココから先の
道路は赤岩峠への登山道の入口も兼ねています。

<赤岩峠登山口>


この辺りは一戸建ての鉱山住宅だった様で、何となく
「古き良き昭和の住宅街」といった風情を残しています。
映画の撮影にでもすぐに使えそうな佇まいです。

<鉱山住宅(一戸建て)>
とはいえ、やはり気になるのが各住居の入口打ち付けられた板。
全ての入口に打ち付けられていること、先程の風呂屋横のモルタルアパートが
解体されていた所を併せると、この性急な解体ぶりは、会社側が不法侵入に
相当頭を悩ました結果なのではないかと思わざるを得ませんでした。
跡地利用が決まっている訳でもない場所を、会社が費用をかけてまで
解体するにはそれなりの理由があるわけですし。
そう思うと返す返すも残念に思えてなりません。


1ヶ月もすると、全ての廃屋は更地になっているかも知れません。
そういう意味では、ギリギリ間に合ったと言えそうです。


さて、あとは八丁峠を抜けて帰るだけ、と思ったら林道の途中にまた
脇道を発見。道とはいえ、ブルドーザーで無理矢理道を造ったみたいだな
と思ったら案の定‥‥

<破壊ホッパ>
積み出し用のホッパが木っ端微塵に解体されていました。
索道の終点でもあった道伸窪鉱床の施設かも知れませんが、
ここまで破壊されてしまうと何の跡かもわかりません。


1時間の滞在の予定で来たのですが、すっかり3時間も堪能してしまい
すでに暗くなりつつあります。あとは峠を越えて国道299経由で帰るだけ
ですが、街灯もないヘアピンぐねぐねの林道を、夜になって走るのは
ちょっと避けたい所。んなわけで急ぎます。
そして八丁トンネルを抜けて尾根の向こう側へ。

<八丁トンネル>
トンネルは片勾配で小鹿野側へ下るだけ、しかも直線なのですが、
何故か出口の明かりが見えません。もちろんトンネル内電灯もないので、
廃墟を散々見た後には霊感が無くても「出そう」な雰囲気で満ちています。
うー怖ぇ〜(((゜д゜;)))

暗いので前を見つつ、何か出そうなのであまり前を見ず、
漸く抜けたトンネル出口は強烈な左カーブ。スピード出してたら
確実に谷底へバンジージャンプして逝ってました。
恐ろしい線形です。


と、そこには‥

<行止まり。>

ここまで来て行き止まりって‥
もっと麓からアナウンスして呉れりゃいいのに、来て見てガッカリ引き返し。
そんな訳で日没と勝負しながら、また「嫌な気配のトンネル」を抜けて、
林道〜県道210〜国道140経由で帰宅。


すっかりクタクタになりましたが、行ってみた収穫は大きかったです。
しかし、取壊しが進んでいる現状、近いうちに是非とも再訪問して置きたい所です。